川南町特集
[宮崎県]
川南町は、宮崎県のほぼ中央部に位置し、東は日向灘、西は木城町、南は高鍋町、北は都農町と接しています。町域は、東西約12キロメートル、南北約10キロメートルで総面積90.12平方キロメートルです。森林と農用地が総面積のそれぞれ約40パーセントを占め、温暖な気候と豊かな自然の中で、全国有数の食糧生産基地となっています。
旧農林水産省発行の戦後開拓史に青森県十和田市、福島県矢吹町と並んで戦後の大規模国営開拓事業が成功した三大開拓地として掲載され、戦後全国各地から農業を志す人々が集まり拓れたことから「川南合衆国」と呼ばれています。
川南町のいいトコ!!
川南町で憩い・楽しむ
川南湿原植物群落
川南湿原は国道10号線沿いにある湿原で湿原内は遊歩道があって散策することができます。植物総数約300種が確認され、そのうち約100種が湿原植物で川南の大地をくぐった水が地表に届き一帯を湿らせています。
篠原滝(みようと滝)
別名『夫婦滝(みようとだき)』と言い、高さ約20メートル、幅約10メートル、滝壷は浅めの滝です。向かって右側の流れが男滝、左の流れが女滝と呼ばれています。この滝は古くから白鬚明神と共に地域の人々の信仰の対象となり、秋の実りや地域の喜びごとなどの娯楽の場でもありました。
天龍梅
高岡町の月知梅、新富町の湯之宮座論梅と並んで宮崎三大名梅とされています。樹齢数百年以上の老梅で、約百年前大暴風雨で枝が倒れてしまいましたが、その倒れた梅は次々に根を出し枝を伸ばして四方に栄え始めました。その姿が天に昇る龍のように見える事から、大正6年2月天龍梅と命名されました。
川南町の名所・文化
宗麟原供養塔
天正6(1578)年11月12日に鹿児島(薩摩)の島津氏と、大分(豊後)の大友氏との間で繰り広げられた九州争覇戦・高城合戦は、西の関ヶ原とも呼ばれる大きな戦でした。この戦いによって亡くなったおよそ7000人の魂を敵味方なく弔うために高城城主の島津軍武将山田新介有信が天正13年に建立したものです。
平田神社
日本武尊が熊襲征討のため九州に西下された折、弊田川岸の歳の森に船を寄せ、南の高台に暫し留まられた。後の世の人々(1600年程前)は、尊の高徳を慕い、尊を祭神として創祀したと伝えられています。
川南古墳群
標高約60メートルの国光原台地の西別府地区の0.5平方キロメートルの範囲で4世紀頃から6世紀の終わり頃にかけて約300年間にわたって造られた古墳群です。100メートルを超える大きさの前方後円墳はその地方の最有力者であることが多く現在の宮崎県知事のような存在であったと思われます。
川南町の特産・名物