田野町特集
[高知県]
田野町の起源は、古代は那波郷に属していましたが、鎌倉時代の初め高田法橋が高田山に来着し、奈半利川の治水に努め、田野郷を墾いたと伝えられています。
中世期には、地頭の大野豊前守が、戦国の世は媛倉右ヱ門が治め、藩政時代には、甲浦代官の知行所となりました。当時代中期より資本主義経済が台頭し、田野五人衆、または七人衆と称する藩の御用商人が、奥地の山林資源の開発により富強となり、田野千軒が浦として繁栄しました。幕末の嘉永6年(1853年)に安芸郡奉行所が岡地に設置されるとともに、藩校田野学館が併設されて安芸郡における政治経済文化の中心地として栄えました。
明治維新後区制が敷かれ、明治21年(1888年)郡区、町村制法により田野村として発足し、大正9年(1920年)には町制を布いて、田野町に改称し現在に至っています。
田野町のシンボル