垂井町特集
[岐阜県]
垂井町は、日本の真ん中の、岐阜県(ぎふけん)の中の、西濃地方(せいのうちほう)の南西(なんせい)にあります。
垂井町のいいトコ!!
垂井町で憩い・楽しむ
南宮山ハイキングコース
南宮大社裏の東蛇溜池から、関ヶ原合戦において毛利秀元の陣地となった展望台まで登り、西蛇溜池に下りる、延長3.8キロメートルのコースです。
コースでは、町の花「ツバキ」をはじめ、四季折々の自然や、「一ツ松の旧跡」、「高山神社」等名所、旧跡を満喫できます。
相川こいのぼり一斉遊泳
3月下旬から5月上旬にかけて、町内外から寄附された約350匹のこいのぼりが泳ぎ、桜並木に色を添え、水辺公園一帯が華やぎます。
満開の桜と、こいのぼり、冠雪の伊吹山が一緒に見ることができるこの景色は、垂井の春の風物詩です。
所在地 | 相川水辺公園一帯 |
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電話番号 | 垂井町観光協会 0584-23-2020 |
菩提山ハイキングコース
戦国時代の智将として知られる、竹中半兵衛重治公の居城跡である山頂まで登る全4コースです。
山城跡は、南北約260メートル、東西最大60メートルと広大なひろさでした。山頂からの眺望は必見です。
所在地 | 垂井町宮代2006 |
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電話番号 | 垂井町観光協会 0584-22-2212 |
垂井の泉
岐阜県の名水50選に選ばれた由緒ある泉です。
湧き出る泉は古くから和歌に詠まれ、「垂井」の地名はここから生まれたと言われています。
電話番号 | 垂井町観光協会 0584-23-2020 |
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垂井町の名所・文化
真禅院
真禅院は江戸時代まで南宮大社内にあったお寺ですが、明治初年の神仏分離により現在地へ移築されました。
境内にある三重塔と本地堂は南宮大社の建物と同時期に徳川家光により再建されたもので、国の文化財として指定を受けています。
境内にある梵鐘は美濃国最古のものといわれ、鐘楼のほか、仏像など多数の優れた文化財があります。
美濃国一宮 南宮大社
金山彦命を主祭神に、旧国幣大社で美濃国一宮として、また全国の鉱山、金属業の総本宮として今も深い崇敬を集めています。
年間を通じ、大小50余の祭典が行われ、5月5日の例大祭、11月8日の金山祭(ふいご祭り)などの神事があります。
所在地 | 垂井町宮代1734-1 |
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電話番号 | 南宮大社 0584-22-1225 |
南宮神社 附 造営文書
南宮大社は金山彦命を祀り、古来から美濃国の一宮として崇敬を集めてきた神社です。
社殿は、関ヶ原合戦により焼失したため、寛永19年(1642)に将軍徳川家光の発願により再建されました。当時の建物として本殿をはじめ15棟の建物が現存し、石造の橋と鳥居を併せて国の文化財として指定を受けています。
このほかにも、南宮大社には刀剣などの工芸品や5月に行われる例大祭での神事など多数の優れた文化財があります。
垂井一里塚
江戸時代には主要街道に一里ごとに塚が築かれ、旅程の目安や旅人の休憩の場所となっていました。明治以降、道路の拡幅の妨げとなり、一里塚は急速に姿を消しますが、垂井一里塚は南塚が完全な姿で残っており、文化財として国の指定を受けています。
また、関ヶ原合戦では、垂井一里塚の場所に東軍の浅野幸長が陣を置いたとされます。
美濃国府跡
古代において、地方を統治する拠点として国ごとに置かれた拠点が国府です。美濃国では垂井町府中に存在し、平成3年からの発掘調査により、御旅神社周辺に中心となる施設の政庁や東方官衙地区、朱雀路などが見つかりました。国府の中心部分が判明している国府跡はまだ全国的にも少なく、貴重な文化財となっています。